三角点をゆく



ゴール後、つかちゃんの車の中でみっちゃんに電話する。
室戸市、高知市からちょうど中間の安芸に迎えにきてもらうためである。
しかし、みっちゃんは「もう家を出発しとるよ。今介良まできちゅうがで。」とのこと。
えー、そうなの。ありがとう。予定通りの時間で室戸岬まで行けてよかったよ。


安芸への道々、暗い中たくさんの室戸貫歩参加者が歩いているのを見た。
みんながんばってー、心の中で声援を送る。

我々が室戸の街中を歩いているとき、室戸岬方面から引き返してくる男性がいた。
ランナーっぽい服装にトレランリュックを背負っており、けっこう早足であった。元気やねー。
夜中だから交通機関は動いていないし、高知大学手配の送迎バスは朝9時発だから、戻れるところまで自分で戻るのかな、とつかちゃんと話していた。
この引き返してくる男性も結構先まで進んでいた。

田野町の田野駅屋で数名休んでいる人がいた。
ここが最後尾かと思ったら、安田町を歩いている二人連れを発見。
室戸岬まであと35kmくらい? このペースで午後3時までにゴールできるのかな? 長い道のりですが、がんばってください。
つかちゃんは自分のお子さんに、「お母さんは20km歩いた」と話してやるそうだ。いいね!

午前4時8分、安芸駅前で無事にみっちゃんと合流し、つかちゃんとはお別れした。ありがとう、元気でね。
みっちゃんの車で高知へ帰る。車の中でさすがに疲れていたのか、知らない間に寝てしまっていた。

5時頃みっちゃん宅に到着。お風呂に入れてもらったり、奈半利のスリーエフで買った食料はその後ほとんど食べなかったので、それを朝ご飯にしたり。
みっちゃんにもほとんど徹夜させてしまった。申し訳ない。お昼ご飯に中華丼も出してもらった。

高知駅発16:30のなんごくエクスプレス号で松山に帰るので、それまで二階の部屋で休ませてもらう。
二階か・・・。太ももの筋肉痛で、二階への階段の上り下りがきつい・・・。

高知駅へはJRを利用しようかと時刻表も調べていたのだが、みっちゃんが街で買物があるのでついでに車で送ってくれるという。
荷物もあるし、駅の階段を上らなくていいのは助かる〜。ありがとう。


高知駅は非常にきれいに立派になっている。みっちゃんに別れを告げ、JR四国バスで松山へ帰る。みっちゃんもありがとう。松山にも来てね。


  



松山では大街道バス亭(三越前)でバスを降りた。そこには家族が迎えに来てくれていた。おお、懐かしの家族〜。
二泊も家を空けるのに、快く送り出してくれてありがとう。

家族と焼肉で祝杯をあげた。
そして翌25日まで休養し、26日から元気に仕事に復帰した。

      

室戸貫歩後の体の状態はどうであったかというと、大腿部の筋肉痛が3日くらい残って階段の下りがきつかった。
マメの発生は足の親指の、走るとできるいつもの場所のみ。優秀優秀。

(約20年前出場のときは、歩くことも這うこともできないほどの大腿部の激痛、前足部全体に巨大なマメができ、一ヶ月後に足の親指の爪の脱落。疲労骨折した先輩もいた。)

それから左足の親指の爪が浮いたような状態になった。爪を押すとぶよぶよしているのがわかる。
どうも爪の中に水ぶくれができたらしい。
ちょっとつま先をぶつけても激痛が走るので皮膚科を受診すると、「化膿はしてないから大丈夫」で終わり。そんなものか。
この爪の痛みのため五本指靴下が履けなくなった。不便〜。


総括として、約90kmはしんどいにはしんどかったが、26時間かかった20年前とは比べるべくもない。ひどい筋肉痛にはなっても普通に歩けるし。
その分、貫歩できた感激も20年前より薄かったかな、と思う。愛媛マラソンの延長のような感じ。
室戸貫歩サポートの名目で友達二人と再会できたのが一番よかったかな。


室戸貫歩の記録更新のためには、コンビニでの買物時間を減らすのが一番だろう。
そのためには、食料と飲料を入れたリュックを担いで走らねばならない。
リュックを担ぐと空身よりはタイムは悪くなるだろうから、その兼ね合いが難しそうだ。

第二に走る速さを上げて距離も伸ばす。キロ7分半を保って50km地点まで行ければいいかも。
リュックを担いでの30km走でも繰り返したら効果的かな? (完)



リンク 
 

室戸貫歩の普通の参加者(走らない)はこんな感じです  こちらこちらこちらを参照

室戸貫歩のサポートもなかなか大変です  こちらを参照 2012年@ABC  2011年@ABC
(でもおもしろそう)


       




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