2007年11月11日 本尊山(ほぞんさん)
車:シエンタロウ
参加者:隊長、キャノン・タムロー
旧双海町の海岸沿いの道(国道378号線)を車で走ると、特徴的な形の山があるのでいつも気になっていた。
かつては地元の小学生が遠足で登っていたという本尊山。どんな所なのか、今日こそ確かめたい。
由並本尊城(ゆなみほぞんじょう) 「双海町誌 改訂版(平成17年3月12日発行)」より 灘町の北東、本尊山(標高168m)の山頂に由並本尊城跡がある。1177〜1180年(治承年間)、平氏の武将藤原氏の築城と伝えられる。 1335(建武2)年、河野対馬守通有の孫で、得能六左門通時が城主となり、同年7年から本格的な築城にかかり、東西の稜線に10余の郭を連立させ、近くに比類のない、戦うための城郭を完成させた。数年の歳月を要したという。 通時は、南朝の命を受けて周桑郡まで出兵し、戦功をたてて由並郷を受領した。河野一族も南・北両朝に分かれるが、得能通遠が城主のとき、由並本尊城も北朝(武家方)の軍門に降った。 得能壱岐守通賢が城主であった1580(天正8)年、土佐の長宗我部軍の猛攻をうけ、最後には海岸側の山裾に火を放たれ、火炎は本尊山を駈け登り、ついに開城した。 1585(天正13)年には、豊臣秀吉の命を受け、伊予に侵攻した小早川隆景軍の攻撃を受けた。城主得能通賢は、討ち死にし、開城され廃城となった。 |
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左上(「双」の字の下あたり)に本尊山。そのまま下にに視線を移すと天一(てんいち)稲荷神社。 ふたみシーサイド公園左上に、由並の名を今に伝える由並小学校がある。 |
登山の記録
伊予市双海地域事務所(旧双海町役場)に駐車する。 | その正面の道を北へ進む。 |
登山の起点となる天一稲荷神社まで数分歩く。 天一神社までの道は地元の方々で交通量が多い。 |
上灘川を渡る。橋から山側(東)を見る。JRの鉄橋がある。 | 海側を見る。 |
天一稲荷神社は、道沿い右にある。 |
石段を半分ほど上ると、 左へ行く道があるので、そちらへ進む。 |
畑を通り過ぎると、 | JRの線路が道を横切っている。 |
左側(北)松山方面。 すぐカーブになっていて汽車が来るのが見えず、非常に危険。 十分な注意を払って線路を渡ること。 |
右側(南)上灘駅経由大洲方面。 |
登っていくと、 |
畑に出た。左側の畑。よく手入れされている。 | 右側の畑。野生動物から野菜を守るためか? 厳重に囲われている。 |
右の畑越しに海が見える。 |
用途がよくわからないが、旧防衛庁の杭がある。 |
本尊山が木々の向こうに見えてきた。 |
階段状に穿たれた岩場を登ると、 (ここが唯一城趾らしい箇所) |
鳥居のある小さい広場に出た。 頂上か?と思われたが、まだ標高が低い。ここではない。 南側の展望は抜群である。 |
鳥居の右側には、この下の地区200〜300戸の共同アンテナが建っている。 共同アンテナというのは実物を初めて見たが、思ったより小さいアンテナである。 |
鳥居の広場より南側の風景。奥の一番高い頂が、牛ノ峯。
さらに登ると、 | 海と波消しブロックが見える。 |
急な坂をよじ登ると、 頂上です! 四等三角点があります! 頂上は思ったより狭い。 ここでは、小学生が遠足の弁当を食べるには狭すぎるように思う。 鳥居の広場で食べたのだろうか? |
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実測値 緯度:33°41′22.1 経度:132°38′45.1 標高:192m |
三角点の他に「キティ山岳会」の標識も。 キティさんにも登ってもらっているとは、光栄である。 キティさん何者なんだろう? どんな基準で山を選んでいるのかな? 頂上は少し藪っていて、展望もないので下山を開始する。 |
線路を渡った後、別れ道を天一神社の方(左)へ行ってみる。 | 大洲藩ゆかりの天一神社でお参りをしてから帰りました。子宝を授かりたい方もぜひどうぞ。 |
登山道の植物
麓から見た本尊山
東側から見た本尊山。 | 南側(上灘中学校付近)から見た本尊山。 | |
海沿いの国道378号線、上灘漁港付近から見た本尊山。 | 伊予市双海地域事務所(旧双海町役場)から見た本尊山。 | |
八景山(はげやま)から見た本尊山。 | 拡大。共同アンテナと鳥居が見える。 |
伊予市双海地域事務所(旧双海町役場)に駐車する。
伊予市双海地域事務所(旧双海町役場)か、少し離れた道の駅 ふたみシーサイド公園にある。
所用時間:ゆっくり登って下ってお参りして1時間。標高は高くないが険しい所もあるので、登山靴で登るのが安心。子供は小学校高学年以上なら楽しく登れそう。